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2006年8月 8日 (火)

豊かな海へ

伊良湖岬の石門を先日
パドリングのあとに巣潜りしてみた。
磯であるがやはり遠州灘の砂丘ゾーンだ。
日本海や紀伊半島とは違い
砂地の中の岩場が点在する。
魚影は少ない。手のひら程度のクジメはいるが
ちらほら見かけるメバルなどの根魚の小型のものは
いるも、けっして数は多くなかった。
少し沖合を底引きの漁船が大挙して進む。
彼らは浜に近い距離で根こそぎ魚を捕まえていく。
遠州ではこの様に岸近くで底引きをやられると
しばらくは釣れなくなると嘆くフィッシャーも多い。

Fisher02 与那国島のウミンチュに聞いた話しを思い出す。
与那国のウミンチュの狙いはカジキとマグロで
グルクンやハタ類などの一般的な魚は
全く狙わない。
一時期、隣の漁協である石垣島の船を
協定を結んで乗り入れさせる事になったそうだ。
やはり、グルクンやカツオなど
かなりの勢いで乱獲してきたそうだ。
この時、危機を感じた与那国の漁協は
再び石垣島の船が入らないように戻したのだ。

今、カジキやマグロなどの大型の
回遊魚が入ってきているのは豊富な
餌となる魚がいるからだ。
与那国のウミンチュは断言する。
その魚を漁の獲物としてないからといって
他の漁師に根こそぎもっていかれれば
それを餌とするカジキもいなくなる。
全ての環境があってこその与那国なのだ。

Fisher01 私も与那国遠征時に餌となるグルクンを
磯で釣ってましたが、他の魚は全て
放り投げていました。
沖縄本島から来る遠征の磯釣り師の人ですら
このサイズの魚はリリースしないそうだが
別に新鮮に持って帰れる訳でもないので
無駄に殺生はせずに海に戻していました。
ポイントもベストな場所を教えてもらってるのもあるけど
これだけ労せず爆釣できる環境だからこそ
大物も沿岸に寄ってくる訳なのだろう。
潜るとその海の豊かさが明確に見えてくる。
釣り糸だけでなく、直に見る事も大事だなあって
思ってしまった。
釣りの技術云々ではない。
豊かな海の姿が実感できる
そんな海が懐かしい。

実家の海は山陰の磯だ。
子供の頃に潜った時と比べ
現在ではその魚影の数が激しく少なくなっている。
伊良湖の磯でもきっと20年も前ならば
魚影も濃かったのかもしれない。
そんな中でも伊良湖の岩場には透明な嚢に包まれた
卵が産みつけられていた。
何の卵かはわからないけど
命はしっかりと引き継がれている。

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コメント

たとえ石ころであっても、そこに存在すること自体に意味があり、意味がある。
それを動かすことによって影響を受ける自然もある。
昔読んだ本に書いてあったなぁ。

引き継がれる命にこれからの地球は頼るしかないから、大事にしなきゃいけないね。

投稿: 633B | 2006年8月 8日 (火) 23時33分

変化する事は多かれ少なかれリンクして変動する事は
あるんだよね。

ただ、自然は今のままを維持するという
事ではなく、変化していく姿が本来の姿
なのかなとも思います。
山は雨で削れゆっくりでもフラットに、
川に流れ砂浜や平野を形成する。
森林の伐採などを問題視する傾向もあるが
実は崖崩れもしっかりとした自然なのだと思う。
そうおもえばフラットな地面が火山活動や
隆起などで新たに起伏を大きくする。
輪廻とまでは言わないが巡る大きな"流れ"そのものが
自然なのだろうな。

ただ人間は現状を維持する事にも躍起になる。
災害に関しては利権が絡むから
とにかく大きな変化を避けようとする。
むろん生活は守りたい。
自然の流れの中で、一所懸命に
生き物はやっきになって蠢いてるっていうか...

与那国が維持できるのは
人口が少なく維持しているからこそ
なのかもしれないね。
それはそれで生活は大変な訳だけど。
ただ生活のために乱獲という一線を越えなかった。
その勇気は私は称賛するなあ。

投稿: きぐ | 2006年8月 9日 (水) 01時17分

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