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2007年5月11日 (金)

母島からの手紙

War01 母島の戦跡を
少々紹介します。
沖港の北に位置する
静沢の海軍施設跡です。
海岸の断崖には
砲台があり大砲も
残ります。ザイルが
設置されていますから
滑り落ちないように
注意して入りましょう。

War02 母島南端の
南崎の小富士要塞。
その小富士の岩壁に
設置された
トーチカの大砲です。
かなり大型の砲が
残ります。
まさに海の防衛線
だったのでしょう。
東海上を睨みます。

War03 北港の手前にある
東港の近くにある
探照灯下の
高角砲陣地です。
3門ほどしっかりした
かたちを残して
高射砲が眠っています。
米軍の指示で
砲身は爆破され
裂けていますが
上部に二本のシリンダーが
まるでドイツの88mm砲の
ように空を仰ぐ事が
できるのをアピールしてますね。

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コメント

うーん
小笠原での戦闘
既に記憶の彼方かなー

数ある戦争の跡に目を背けず
意識することが大切なんだろうけど

死の現場を直視する勇気が
我には必要か
我が生きる方向を見るためにも

投稿: ayaG | 2007年5月13日 (日) 10時25分

激しかったのは言わずもがな小笠原諸島では
硫黄島だった訳で、父島列島、母島列島
では、それほどではなかったそうです。
とはいえ、硫黄島の補給点としては
最前線でもあった訳で
艦砲射撃や空襲はあったそうで
むろん亡くなられ方はおられました。

明治の乱開発と、戦時中の艦砲射撃で
父島も、現在のジャングルは
二次林でしかないのです。
実のところ、米軍統治があったので
今の小笠原の自然がある訳で
移入種が多いと言ってもそれが
いいのか悪いのか一概には言えないと
思った次第です。
米軍が手を入れずほっぽりぱなしに
してくれたのが吉と出た。

ともあれ、
たぶん、戦跡を見るだけでは
何も見えないんだと思うんですけどね。
ベトナム戦争の時に横須賀から
メンテナンスで日産の工場に入った
戦車を洗車すると、腕やら
足やらゴロゴロ落ちてくるのを
見た作業者の方が本質を見ているの
かもしれないですね......
でも、塹壕やトーチカの洞窟に
入ると感じるものはありました。

投稿: きぐトーチカ | 2007年5月13日 (日) 11時50分

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