朱印に思う
法多山尊永寺で御朱印を頂いた時に
このような書面の紙ももらいました。
これって結構大事な事だと思うのでした。
納経もできる時はしたいと思いますし、
読経ができない時間しかなくても合掌だけでも
という心は大事だと思うのです。
だって何をしに来たのかわからなく
なってしまいますからね。
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「御朱印」について
本日参詣の砌、皆様がお受けになられました
「御朱印」は正しくは「御納経」と申します。
これは六十六部廻国聖などの巡礼者が
各霊場に自らが書写した経巻を奉納した
証として判を頂いたことに由来すると
いわれています。したがって、現在でも
「御朱印」には必ず「奉納」或いは
「奉拝」の文字が書かれております。
最近では写経を奉納されるかわりに
「御朱印」をお受けになられる方はほとんど
いらっしゃいません。それどころか中には
御本尊様に手も合わせず、「御朱印」を
集めてまわるだけの「御朱印(スタンプ)」マニア
の方もまま見られます。時間の限られた
御旅行中であっても、御本尊様の御宝前で手を
合わせ本日の参拝の御報告をなさってから
「御朱印」をいただく、そうした「心のゆとり」を
持ちたいものです。
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頂いた朱印です。
実はこの"マニア"
とういう言葉は
道の駅などの
スタンプラリーの
激化がすごく
シンクロしてしまします。
もちろんスタンプラリーを批判するつもり
は無いのですが、本来の狙いはなんなん
だろうと考えて、スタンプを集められると
良いと感じるのです。
ただ単に、スタンプだけ闇雲に
かき集める姿はちょっと嘆かわしい。
本来、観光としての販促を狙いにしている
と思うのです。せっかくの土地に行ったなら
そこで何か観光をしたり、できれば
その土地にお金を落としてゆくのが
良いのだと感じてしまうのです。
その中にスタンプの楽しみが
入ればいいのかな。
先日も川崎市の民家園を回るのに
スタンプラリーをしましたが、おかげで
スタッフの見せたいポイントを
ちゃんと押さえつつ見てまわる事ができました。
つまりガイド的な要素を含むのです。
できれば、しっかり見て感じてもらいたいのが
施設の方々の気持ちなんだと思うのです。
ただ道の駅だけを走るのってすごく
勿体無いと感じるのです。
もちろん、メインの目的地の途中で
少しでも寄ってもらうという狙いだけ
なのかもしれませんが、飲み物の1本でも
休憩してもらえれば、良いのかもしれません。
観光情報の基地の役割もありますしね。
また、観光協会などの祭りもそうです。
最終的にはお客さんに多く来てもらい
活性化と外貨獲得が重大な狙いなのです。
で、ライダーがタダ飯とばかりに集まる。
むろん、学生などの貧乏ライダーは
食ってけ食ってけってなります。
微笑ましいですね。
私も感謝感謝という事も多いです。
ですが一端の収入があるオトナになったのなら
やはり、宿にお金を落とさなくても
お土産や食事、ガソリンなんかでもいいから
その土地に残していくと行為があっても
いいのだと思うのです。
中には田舎のGSでは高いからって
入れないでわざわざ都市部まで我慢する人も
いるでしょう。でもそれでいいのかな?と
思ってしまう事もあるのです。
決して贅沢をするのだと言う事ではないのです。
野宿をするにしても食料の買い出しはその土地の
スーパーなどで買うようにする。
できる事からコツコツとね。
情報だけが反乱する世の中で、
特典がどうの、安いとこがどうのって
そういう事ばかりに目が行きますが
それに振り回されることなく、
大事な気持ちをもってゆきたいものです。
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