2008年1月31日 (木)
第五十五番札所 別宮山 南光坊
今治の中心市街地に
位置する南光坊は
大山祗神社創建時に
御法楽二十四坊の一つ
として開かれました。大師堂と
護摩堂は空襲を免れ現存しています。
八十八箇所で大通智勝如来を御本尊
とするのはここだけで、法華経に登場する
釈迦如来の弟子です。また、「坊」の字が
名前につく寺院もここだけです。
■ 第五十五番 別宮山 南光坊
■ 愛媛県今治市別宮町
■ 御本尊 大通智勝如来
■ なむ だいつうちしょうにょらい
■ 宗派 真言宗醍醐派
ここの朱印所の方はお坊さん
でなくはお話上手な檀家さんの
達筆な方みたいで、なかなか
同じ様に書くのも難しいんですよとの事。
今治観光の名詞サイズのカードも頂きました。
ちなみに朱印帳の後ろに住所と願主氏名を
書いておくと会話のきっかけが取りやすのよ
とアドバイスもいただけました。書く方も
黙々と書くだけだと味気ないもんね。
でもバスツアーで沢山書く時は、それどころじゃ
ないよなあ。その点、年末年始は連休だけど
巡礼者も少ないため、ゆったり時間が流れます。
2008年1月30日 (水)
2008年1月29日 (火)
第五十四番札所 近見山 延命寺
今治市街地の西の
はずれに今治と宇部に
事業所を持ち、地域
密着な石油会社である
太陽石油の精製プラントがあります。
太平洋戦争時代には徳山海軍
燃料廠として供出されていました。
そして隣接して日本地下石油備蓄
株式会社の管理する菊間国家
地下石油備蓄基地(写真上)があります。
150万キロリットルの備蓄量で地下岩盤
タンクは常圧貯蔵横穴水封固定水床式。
ちなみに国家地下石油備蓄では他に
鹿児島・串木野の175万キロリットルと
岩手・久慈の175万キロリットルがあります。
■ 第五十四番 近見山 延命寺
■ 愛媛県今治市阿方甲
■ 御本尊 不動明王
■ 真言 ノウマクサンマンダ バザラダン
□ センダマカロシャダ ソワタヤ
□ ウン タラタ カンマン
■ 宗派 真言宗豊山派
来島海峡の展望の近見山。
延命寺は伊予水軍の菩提寺です。
もともと円明寺で五十三番と
同じ寺号でしたが、郵便誤送が
多く俗称の延命寺に変更したそうです。
今治の地域産業と言えば造船とタオル。
タオルのお土産がわんさか並びます。
大師堂の前の私のお遍路
スタイル。マニュアル通りの
格好ではありません。
コスト削減もありますけどね。
本来、白い衣装は白衣(はくえ)
もしくは笈摺(おいずる)と呼ばれ、
西国三十三所霊場の巡礼が
始まりとされます。観音様を
箱に入れて背負った時に
俗身に触れない様にと清浄な
白衣を着用したのだそうです。
また死装束であり、死後の旅路と
同じ格好となる訳です。もちろん、
写真はモンベルのゴア装束です。
第五十二番札所 瀧雲山 太山寺
松山市内でも道後周辺から
観光港方面に移動します。
参道の山道を歩くと伊予柑の
みかん畑が現れました。
聞くと1月頃が収穫の最盛期で
普通のみかんより少し遅め。
愛媛の伊予柑、いい予感。
まさにシンボル的な伊予柑は
ポンジュースの国の特産です。
今年の正月には伝説のポンジュースの
出る蛇口がとうとう現実となりました。
松山空港に期間数量限定で臨時設置
されたのです。さすがです!! 伊予の国。
■ 第五十二番 瀧雲山 太山寺
■ 愛媛県松山市太山寺町
■ 御本尊 十一面観音菩薩
■ 真言 オン マカ キャロニキャ ソワカ
■ 宗派 真言宗智山派
太山寺は山の中のお寺
という雰囲気で駐車場から
少し距離があります。
愛媛県内最大の木造建築
の本堂です。嵐の高浜沖で遭難
寸前の真野長者が観音経を読むと
光明が射して嵐が止んだそうです。
その光源がこの山からだったと言われます。
また参道の宿に「ねじれ竹」があるそうです。
不義の男女のお遍路が青竹の杖を持って
いたが、この宿でねじりあってしまった。
同宿の僧に諭され、以後は別々でまわった
とい伝承が残る太山寺なのです。そして
遍路用品の代表格である金剛杖には
その後、青竹を使わなくなったそうです。
材質は樫、檜、杉を用いる事が推奨されています。
ちなみに金剛杖は弘法さんの分身とされ
宿では足を洗うように洗って床の間に
置き尊像として礼拝する作法があります。
遍路途中で亡くなれば金剛杖が墓標となります。
雪山で命を守るもので魂のこもる杖として
良く言われるものはピッケルですね。
私にとってもストックの意味合いは大きいので
遠慮なく、LEKIのストックを使用しています。
2008年1月28日 (月)
熊野牛王神符のお烏さん
最近は朱印ばかりなので
護符を紹介しましょう。
数年前に揃えたものですが
熊野三山でそれぞれで頂く
熊野牛王なる宝印神符です。
烏の絵を図案化し木彫りで手刷りのものです。
烏は古来、熊野の神使とされ
日本サッカー界でも有名な八咫烏だね。
まずは熊野本宮大社の熊野牛王神符。
お烏さんの数は八十八羽です。
この神符は鎌倉時代には
「誓約書」にも使われはじめ
江戸時代には「起誓文」の
代わりにも使用されました。
公式文章としての効力もあったのです。
古くから熊野権現への誓約を破ると
熊野大神の使いである烏が一羽亡くなり
本人も血を吐き地獄に落ちると信じられて
いるからです。お正月番組の「雪之丞変化」
でも、血で署名を書かせていましたね。
旦那に奥様が浮気封じの意味合いで
書かせる事が多かったようです。
これは熊野那智大社の熊野牛王神符。
お烏さんの数は七十二羽です。
ともあれ、熊野牛王神符は
災難から護ってくれるのです。
竈の上ならば火難を免れ、
門口ならば盗難を防ぎ、
懐中に忍ばせて乗り物に乗れば
酔いもなく災難も免れるそうだ。
また、病人の床に敷けば病気平癒となる
パワフルなものです。
最後は熊野速玉大社の熊野牛王神符。
お烏さんの数は四十八羽です。
2008年1月26日 (土)
冬の妙高小谷林道
小谷村の奥地へ。
M田さんと法華さんと
三人でスノトレです。
法華さんがMSRの
スノーシューを入手して
ゆきんこモードだもんで。
雨飾高原の雪原に
行こうかとも思ったのですが
バックカントリースキーヤーが
大挙して入ってきたので
誰も入らない妙高小谷
林道をちょこっと歩く事にした。
大海川 の橋で休憩です。
尾丸滝方面へ少し
ラッセル気味で
パウダーを歩きます。
ヘロヘロ法華さんは
バッタンキュー!!
この位置からは大渚山と
雨飾山が展望できます。
ガスがちょっと切れてピークが
ハッキリしてきた大渚山です。
ちょっと雪は少なめですが
パウダー感は八方尾根の
比ではありません。
白馬と距離的には大差ないけど
頸城山塊はやっぱスゴイね。
後立山連峰は未だに
雲の中ですが、
雨飾山もなんとか
頂上が見えてきました。
右肩のP2が山スキーマニアの
狙いどこです。頂上部は岩峰
なので冬は登攀になっちゃうみたい。
帰り道の雪崩
地点を歩くM田
さんと法華さん。
雪崩る場所は
サクサクと
クリアしないと
危ないの。
氷の塊なデプリに
新雪がかぶり
スキーだと歩きにくいです。
小谷と妙高を繋ぐ
林道も冬は
雪深い閉鎖ゾーン。
ホワイティな世界がいいね。
小谷温泉の道路も
夜の降雪が除雪されず
パウダーが舞い上がる
圧雪路です。
プラ道がジム吉を煙にまく。
小谷温泉の一山隣の筋
になる秘境温泉の一軒宿の
奉納温泉へ向かいます。
のーんびり温泉を楽しみ
出てくるとフサフサで
あったかそうな毛並みの
ニャンコがちゃんこしてました。
2008年1月25日 (金)
八方塞がりの八方尾根
冬は雨後の強風。
西高東低で低気圧が
通過すると、西には
高気圧が残ります。
つまり等高線が混むほど
強風になり恐怖になるのです。
戸隠から白馬八方尾根スキー場
へシフト。なんと、ゴンドラと兎平から
上のリフトが強風のため停止。
リーゼングラート、黒菱、兎平の
各ゲレンデが全て閉鎖しちゃいました。
写真は白馬八方のジャンプ台
上部です。見学が楽しそうですね。
雪質は圧雪ばっちりで
久しぶりにゲレンデスキーに
徹します。テレーマーカーな
M田さんも今シーズン初めてなので
ウォーミングアップでテレテレです。
まあこうなると八方池は遥かなる地だ。
しかも兎平から上はガスの中だしね。
午前券が終了したので
兎平からシール登高して
兎平ゲレンデを滑ってみます。
しかし、さすがに強風閉鎖ゲレンデ。
完全なアイスバーンが徐々に増えて
けっこう怖い。しかも突風で身体が
浮いてトラクションが激減。
こりゃ、クランポンをスキーに装着しても
危なっかしいの。私の足だとピッケルと
アイゼンじゃないとヤバイので
コブ斜面で滑走モードに。
M田さんが兎平上部まで登ってきました。
そんなこんなで八方尾根第二郷の湯に
くつろいで、大阪から侵攻してきた
ホッケ氏と合流!! 小谷温泉の奥地で
プチ暴食宴会です。
日本酒をくぴくぴ流し込む蟒蛇法華!!
戸隠奥社ナイトスキー
善光寺のあとは七曲から
バードラインで戸隠へ。
さすがに山間部はもう雪んこ。
でも厳冬期にしては
まだ雪は少ないよなあ。
根雪がやっとできたくらいかな?
まずは戸隠神社中社へ参拝です。
戸隠は奥社、中社、宝光社、
九頭龍社、火之御子社の五社で
構成されています。
■ 戸隠神社 中社
■ 長野県長野市戸隠
■ 御祭神 天八意志兼命
神仏習合時代は戸隠山顕光寺
として戸隠十三谷三千坊という
修験道の霊場で栄えました。
高野山、比叡山に並び
三千坊三山と呼ばれましたが
明治の廃仏毀釈で戸隠神社
として残る事になりました。
だから神社ですが卍のマークが残ります。
しかも信濃町は刃物の町でこの卍も
先端が尖った手裏剣のようなデザイン。
鎌卍と呼ばれ、農機具とシンクロします。
天八意志兼命は天の岩戸を開く
作戦を立てた神様です。
もう時間が遅くなって
しまいましたが、
シールを装着した
スキーでM田さんと
奥社へ向かいました。
中間点の随神門へ
到着しましたが、やはり
少し雪が少ない感じですね。
でも降雪中のため
杉並木の着雪具合は
なかなか良い感じです。
魚眼レンズだと
杉並木の巨木も
しっかり撮影できるね。
寺社参りでは魚眼レンズが
活躍しっちゃいますわ。
でも画一的な構図になり
やすいので注意しなきゃ。
参道の奥にある戸隠山直下の
奥社に到着です。もう17時になり
日没で降雪でヘッドライト準備
だけどね。
■ 戸隠神社 奥社
■ 御祭神 天手力雄命
天照大神の天の岩戸伝説で
岩戸を開いた怪力パワーの
天手力雄命をお祀りしています。
■ 戸隠神社 九頭龍社
■ 御祭神 九頭龍大神
奥社の隣にある九頭龍社は
天手力雄命が祀られる以前に
地主神として崇められた神様です。
また宝光社は天表春命、
火之御子社は天鈿女命を
御祭神としています。
天鈿女命は天の岩戸作戦の
ダンサー役の女神さまですね。
火防だけでなく舞楽芸能の神様で有名です。
2008年1月24日 (木)
善光寺詣ででお血脈
長野市の代名詞とも
言える善光寺。
善光寺の宗派を聞かれると
困ってしまいます。
天台宗と浄土宗の別格本山でも
ありますが、基本的には単立寺院です。
宗派の分かれる以前からある
寺院として、宗派の別なく
お参りできるお寺なのです。
神社がお伊勢参りなら
寺院は善光寺詣でと言われる程です。
■ 定額山 善光寺
■ 長野県長野市元善町
■ 本尊 一光三尊阿弥陀如来
■ 宗派 天台宗・浄土宗別格本山
■ 百観音お礼参りの寺
本尊は日本最古の仏像の
一光三尊阿弥陀如来。
完全なる秘仏で日本仏教の
根本とされ宗派を超えたすべての人々を
受け入れる事を旨としているそうです。
内々陣の御本尊の宮殿を拝する事になります。
善光寺参道の
石畳を歩くと
現れるのは仁王門。
写真は仁王さまの
お御足は筋肉質の造形が見事です。
重文の三門をくぐり
国宝の本堂に入ります。
本堂の内は撮影禁止。
外陣、内陣、内々陣と
配置され、内陣券を購入して
内陣から拝む事ができます。
また有名なのは「お戒壇めぐり」です。
内々陣の瑠璃壇下の真っ暗闇の
回廊をゆるゆると歩くのです。
「極楽の錠前」を探しあて御本尊との
結縁をする道場となっています。
また1月7日~15日までの期間に
ちょうど「御印文頂戴」という行事を
行っていました。落語の「お血脈」で
知られる御印文の三判の法印を
頭のてっぺんにペッタンコと押すのです。
これで極楽往生が約束されるのだそうだ。
さて外は雪がどんどん
ブリザードになってきました。
内陣券で経蔵(重文)と
日本忠霊殿(善光寺資料館)
にも入ることができます。
経蔵は輪蔵になっており
これを一周回すと一切経を読んだ
のと同じ功徳となるのだそうです。
また忠霊殿には本尊の分身仏が
安置されており、阿弥陀如来、
観音菩薩、勢至菩薩の一光三尊
阿弥陀如来を見る事ができます。
勢至菩薩は午年の守り菩薩なんですよね。
ちなみに六年に一度の御開帳は
本尊ではありません。本尊の
身代わりの前立本尊になるのです。
ここは天台宗が
管理する大勧進
の厄除不動です。
後厄が本厄より
一番キツイそうなので
よろしくお願い申し
上げます!! しっかり
般若心経を唱えます。
日本三大不動霊場と
朱印には押されています。
結構、三大不動を名乗る
お不動さんは多いの
ですけど、厄除不動として
有名で、多くの厄年の
方々も来ていました。
ともあれ、あんまり三大は
気にしないでいきましょう。
善光寺の栗ごはん。
お上品です。
でも暴食は我慢しなきゃね。
本来は小布施の名物です。
蕎麦と栗ごはんが長野のロマンだわん。
栗はマロン!!
2008年1月23日 (水)
第五十一番札所 熊野山 石手寺
松山の道後温泉に近い
石手寺は観光客も多く
賑やかなお寺です。
国宝指定の仁王門には
巨大な草鞋が奉納されていますね。
■ 第五十一番 熊野山 石手寺
■ 愛媛県松山市石手
■ 御本尊 薬師如来
■ 真言 オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ
■ 宗派 真言宗豊山派
道後湯築城主河野息利の
子供の息方の左手が
3年も開かず、祈祷で開くと
手の中に「衛門三郎再来」と
書かれた石を握っていました。
お遍路さんの祖と呼ばれる
三郎の生まれかわりとされ
以降、寺号を石手寺としました。
仁王門を入ると
聳えるのは
重文に指定され
ている高さ25メートル
の三重塔です。
晴れた空と三重塔。
その前の広場では
新年の準備でてんやわんや。
鐘楼、護摩堂、本堂、
訶梨帝母天堂、五輪塔も重文です。
猫もくつろぐ境内。
左奥が重文の本堂です。
階段の下には巨大な
ハリボテ風な五鈷杵が
立っていますね。
境内には様々な
お堂があります。
独特なデザインの
仏像が多くて
この韋駄天健脚天も
また不思議な雰囲気を
かもし出しています。
しかし千羽鶴の多いね。
本尊が薬師如来だからでしょうか。
左奥にはマントラ洞窟
なるトンネルが
掘られています。
また八十八箇所洞窟を
進むと地下に造られた
弘法大師修行場があります。
ここを出た場所に大師堂があります。
夏目漱石、正岡子規の落書きが
昔あったそうで一名落書堂とも言われます。
もっとも人の多いお堂は
弘法大師お茶堂でした。
線香が絶え間なく
煙をあげています。
寒いので、にゃんこが体に攀じ
登ってヌクヌクと昼寝をしちゃいます。
欠伸をしてくつろがないでくれー!!
松山市街の路面電車。
土佐と違って新型が
多いですね。
伊予鉄道の車両は
超低床式軌道電車でアルナ工機製の
モハ2100系軌道線用電車です。
第五十番札所 東山 繁多寺
お遍路の起源ですが、
空海こと弘法大師が
四十二才の時に四国霊場を
開創したとされます。
その後、弟子の真済僧正や真如親王たちの
修験者や僧侶が弘法さんの遺徳を慕い
巡礼という形式が始まったそうです。
辺境の海岸線の道を辺路(へじ)と
呼び、紀伊半島や四国の海岸線を
巡る修行を辺路修行とし、
これが遍路になったとされます。
修行ではありますが、その土地を
しっかりと見ることは、空海の
遣唐使時代でも基本であり、
それこそが、遍路という言葉に残る
「辺境スピリッツ」だと思います。
■ 第五十番 東山 繁多寺
■ 愛媛県松山市畑寺町
■ 御本尊 薬師如来
■ 真言 オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ
■ 宗派 真言宗豊山派
どっと疲れた気分の次の
お寺は少し心が安堵します。
「はたでら」の愛称のある
繁多寺(はんたじ)は鎌倉末期に
時宗開祖の一遍上人の修行地で
浄土三部経も奉納されています。
また江戸時代には家綱の念持仏である
歓喜天が安置されたそうです。
2008年1月22日 (火)
第四十九番札所 西林山 浄土寺
極楽寺の隣の浄土寺の
お若いお坊さんにブリブリと
怒られました。
ちょっとムカっとしました。
しかし、これもまた修行だな。
落ち着いて、落ち着いて.....
そうなのです。
八十八箇所の浄土寺さんで朱印を
押してもらう時に、極楽寺の朱印を
チェックされて、「これはいけません!!」
って言われたのでした。
■ 第四十九番 西林山 浄土寺
■ 愛媛県松山市鷹子町
■ 御本尊 釈迦如来
■ 真言 ノウマクサンマンダ ボダナン バク
■ 宗派 真言宗豊山派
極楽寺と浄土寺は良く朱印で
トラブッているようです。
八十八箇所以外の朱印を押すのは
いけない事で、極楽寺さんは
八十八箇所でないのに
しらばくれて朱印を押すのだと言う。
しかし、実際にはちゃんと
「伊予十三仏ですが良いですか」
と確認してくれました。
「すみません。間違ったのですが、折角
なので朱印を押してもらったのですけど..」
お坊さん曰く、年月日を記入する
のは観光の朱印であると言うのです。
極楽寺のは別に日にちは書いてないけど
実は、高野山金剛峯寺で買った
朱印帳なので高野山の朱印には
年月日が押してあります。
「高野山l金剛峯寺の朱印もダメなんですか?」
すると「八十八箇所でないのはダメです。」
「まあ、今回は見なかった事にしますが
気をつけて下さい。」
え? だってあなた方の崇拝する
弘法大師様の即身仏が眠る奥の院だよね。
真言宗の総本山で、八十八箇所の
お礼参りもする場所でしょ?
東寺でも、八十八箇所の前に是非
東寺の総本山からお参り下さいと言っています。
この時点で同じ町内の同じ宗派の色々な
駆け引きが渦巻くのが見えた気がしました。
それもまた人間たる所以。
弘法さんはこういうダークサイドも
ちゃんと見なさいと教えてくれた気がしました。
そして受け止めなさいと。
南無大師遍照金剛.........
伊予十三仏 潅頂山 極楽寺
ラリーレイドで言えばミスコース。
実は第四十九番札所を目指した
のですが隣のブロックにあった
真言宗のお寺に入ってしまいました。
妙に人がいないなあって思いながらも
同じレイアウトで本堂と大師堂があり
違和感なく読経を進めます。
■ 伊予十三仏 第六番 弥勒菩薩
■ 潅頂山 極楽寺
■ 愛媛県松山市鷹子町
■ 御本尊 阿弥陀如来
■ 真言 オン アミリタ テイゼイ カラウン
■ 宗派 新義真言宗豊山派
実は伊予十三仏の六番札所の
極楽寺でした。
朱印を押してもらう時に気づきましたが
折角、礼拝したし、そのまま朱印を
押してもらってしまいました。
本当はもう1冊朱印帳を持ち歩いているので
八十八箇所以外のは、そちらに押して
もらう予定だったのですが、駐車場に戻って
待ってもらうのも悪いのでそのまま押して
もらいました。
駐車場には良く見ると伊予十三仏霊場の
マップがありました。番号があったりすると
八十八箇所だと思ってしまったのが
あったけど、まあそれだけ多くのお寺に
訪れる事ができたので良いでしょう。
しかも、伊予十三仏と八十八箇所の
お寺は重複して札所になっているので
紛らわしいのです。
でも朱印で頂けたのが大きなマッチで
実は実家に持って帰って一番喜ばれた
のはマッチでした。
だって仏壇には消耗品ですからね。
第四十八番札所 清滝山 西林寺
四国お遍路は
徳島の第九番法輪寺から
愛媛の第四十八番西林寺に
ワープします。早朝、お寺の
駐車場でゆっくり寝て、お遍路二日目の
スタートです。大晦日は天気も快晴。
でも強風で寒いんですけどね。
■ 第四十八番 清滝山 西林寺
■ 愛媛県松山市高井町
■ 御本尊 十一面観音菩薩
■ 真言 オン マカ キャロニカ ソワカ
■ 宗派 真言宗豊山派
専用の朱印帳だと最初から
朱印を押すページが
決まっているのですが
小型の朱印帳なので
2冊に別れるし、参拝した順に
押してもらうことにしました。
もちろん鉛筆で順番を記入しておいて
押してもらいたいページを差し出せば
それでもOKなんだそうです。
本堂の納札入の前に
ニャンコがへにょー!!
静かなお寺は過ごしやすいのかな。
傘立ての様なデザインの
納札入と写経入なんですよね。
松山道に近いお寺で、ここから
今治へ北上して順を追って行きます。
萩東光寺のお正月
吉田松陰の生誕地である
萩に鎮座する松陰神社。
その近くに毛利氏菩提寺である
東光寺があります。
いつもは松陰神社から
入るのですが、今回は
総門、三門からしっかりと
入ってみました。
入るならやはり三門を
くぐるのが良いですね。
中国の明末期から清初期の
黄檗伽藍様式の建築は
思ったより趣があります。
萩藩三代藩主の
毛利吉就が禅宗の
宇治の本山黄檗山
万福寺に範を求め
1691年にl建立した
黄檗宗のお寺です。
毛利氏廟所が有名で
萩藩主3代、5代、7代、9代、11代の
5人とその各夫人の10基と
近親者20基のお墓が
立ち並び、500基の石燈籠が
一列ではなくパラレルに
並ぶ風景はなかなかのもの。
ちなみに奇数の代だけで
偶数の代は萩市西部にある
臨済宗の大照院にあります。
ちなみに毛利元就の墓は
山口市の洞春寺にあります。
マリーナ萩にあった
インディジョーンズ。(笑)
萩ちょんまげビールが
好きなオヤジと
TALTAL21へ寄ってみました。
醸造所直営の
イタリアンレストランですが
そんなに気取る必要は無いので
良く行きますの。
2008年1月21日 (月)
千光寺の尾道水道の大展望
尾道で最も有名な
ロケ地でもおなじみの
千光寺です。
頂上部はロープウェイや
千光寺ドライブウェイで
アクセスでき千光寺公園
が整備されています。
尾道市立美術館もあり
その近くに千光湧水が
アートに垂れていました。
千光寺へ道を進むと
ポンポン岩(鼓岩)が
現れます。中央に石が
置いてありこの巨石に
打ちつけると鼓のようにポンと音が
響くのです。中空なのかなあ?
舞台造りの本堂は
赤堂と呼ばれ
本尊の千手観音菩薩
は聖徳太子作と言われています。
火伏せ観音とも称される秘仏です。
■ 中国観音霊場 第十番札所
■ 尾道 大宝山 千光寺
■ 広島県尾道市東土堂町
■ 御本尊 千手観音菩薩
■ 真言 オン バサラ ダラマ キリク
■ 宗派 真言宗単立
まさに尾道のシンボルである
千光寺は観光のメインです。
参拝客もかなり多いですけど、新年なので
朱印を受けている人は見かけなかったなあ。
本堂の左手にある
三重岩の横に四国の
石槌山修行場があると
書いてあるぞ!!
広島なのに石槌とは?
男鎖は使え
ないように
されていました。
実際には女鎖が
開放されています。
ここの鎖のサイズは
しっかりと石鎚山の
鎖場と同じサイズです。
鎖修行の場なのでしょうね。
天気がよければしまなみ海道の
向こうに本物の石槌山も見えるかな。
くさり山は石鎚山
でもあります。
石槌権現が祀られる
ピークに出ると尾道水道と
市街地の展望がすばらしいのです。
不動明王が祀られる
護摩堂から大師堂と
玉の岩ヲ眺めます。
ロープウェイの空中回廊
にもなっているのです。
この岩の上の宝珠が海上を照らした
という伝説が残ります。
また大師堂と
客殿の裏に
鏡岩があります。
宝珠、太陽、月の
光を反射させたと
言われます。
神社のような
感じですね。
千光寺から文学のこみち
を登ると千光寺ロープウェイ
山頂駅に到着。
千光寺山の最高点になります。
三角点(137m)は八福稲荷の裏にあるのですが、
大きな展望台も最高点に造られています。
尾道水道の対岸は向島です。
尾道大橋が左手に見えますね。
2008年1月19日 (土)
ドーマンセーマン柳の下
京都の神社を
もう一つばかり
ちゃりちゃりっと
訪れました。
西陣の裏路地。
銭湯の煙突を
良く見かけます。
堀川通りの堀川に
かかる京一条戻橋。
あの世とこの世を
繋ぐ橋と言われ
浄蔵の父、清行が
蘇生したという
伝説があります。
今も葬列、入嫁列は
ここを通ることを
忌み嫌うとの事です。
その地に鎮座するのが
最強の陰陽師であったと
うたわれる安倍晴明を
祀った晴明神社です。
本堂の五芒星。
私は五芒星と言えば
「帝都物語」を連想
する世代ですけどね。
まずは私の後厄も
払ってもらわないと!!
漫画原作の映画「陰陽師」
のブレイクで若い女性の
参拝者が多い晴明神社です。
ここは晴明の屋敷跡に
建てられた神社です。
大阪は阿倍野区にも
安倍晴明神社があり、
そちらは生誕地です。
修験道の石槌神社
日本七霊山の一つで
西日本最高峰の
石鎚山は修験道の
ロッキーマウンテン。
石鎚神社の口ノ宮へ初詣。
マル石マークの提灯の並ぶ
神門をくぐって参拝です。
祖霊殿下のかなり
急峻な階段。
しっかりと石鎚山
登山を感じる鉄の鎖が
設置されています。
なかなか良い雰囲気
でございまする!!
石鎚神社は四つの社で
構成されています。
ここが山麓にある本社になる
口ノ宮(西条市)です。他に
中宮の成就社はロープウェイ駅から
20分の1450mの標高に鎮座。
石槌スカイラインの東稜には
土小屋遥拝殿(標高1500m)。
そして石鎚山弥山の奥宮頂上社
は石鎚大神の御降臨磐境です。
また石鎚山天狗嶽は最高峰(1982m)で
ピークにも小さい祠が設置されています。
成就社だけまだお参りした事がないけど。
(写真は口ノ宮にある登山口)
口ノ宮の本殿です。
そこには石鎚でなく
木槌が準備されています。
これで撫でると悪い
ところが直ると言われます。
役小角の開山した
石鎚山の石鎚神社は
旧社格は県社ですが
四国での威厳は計り
知れないものがあります。
まさに修験道の地です。
御祭神の石鎚大神は
正式には石鎚毘古命と
申されます。
伊邪那岐命と伊邪那美命の
二番目の御子になるそうです。
2008年1月18日 (金)
天神さんの忙しい季節
センター試験が行われる。
私の時代は共通一次
試験だったけどね。
受験シーズンが到来ですね。
学問の神様に神頼み。
やはり有名なのは天神さんこと
菅原道真を祀る天満宮。
三天神の一つである
京都の北野天満宮です。
平将門を祀る神田明神と同様に
日本有数の祟り神で、
怨霊が雷神となり天に満ちる事から
天満宮と呼ぶのです。
天満宮に良く見られるのは
梅の木と牛の像です。
牛は神使としてさまざまな
伝承があります。
また梅は梅の花の和歌を詠み
左遷の地である太宰府に
飛梅伝説が残っているためです。
現代では平安の秀才としての
道真を純粋に学問の神様
として崇めています。
初詣時期のこの時期は
とにかく絵馬、絵馬、絵馬。
合格祈願の絵馬の壁が
天満宮の象徴でしょうかね。
旧社格は官幣中社。
梅の紋がシンプルで
朱印も良い感じです。
2008年1月17日 (木)
萌えよ瀬戸内工業地帯
連休後半も四国入りで
八十八ヶ所巡礼をを継続だ。
このお遍路に合わせ
瀬戸内海の工業地帯も
あっちゃこっちゃ覗いてみたよ。
愛媛は西条市の東予港。
燧灘の工業地帯の護岸で
釣りをするポイントは少ないのですが、
東予港フェリーターミナルの堤防で
でスズキを青イソメで狙います。
ジモピーはタチウオを狙うも
ともに全然反応無し。
対岸の住友共同電力壬生川火力発電所と
入港してきた四国オレンジフェリーです。
新居浜から入港し、大阪へ向かう
第三便のフェリーのトレーラーの
コンテナ航送の作業が激しく
釣りは中止してお遍路のお寺の
駐車場へ移動して車内泊です。
翌日は三島川之江港の製紙工場地帯。
輸入チップを受け入れるための
臨海工業地帯だ。やはりメインは
大王製紙の主力工場である
四国中央市にある三島工場だ。
ボイラーは17基あり蒸気発生量は
時間あたり3,530トン。
パルプ生産量は年間200万トンです。
新聞紙から各種印刷用紙を造り
家庭用ではエリエールブランドで
見慣れていますね。
大王製紙の東隣にある
丸住製紙の川之江工場です。
印刷用紙を生産し
パンフレット用の上質軽量
コート紙からコミック専用の
ラフ中質紙、そしてチラシ用の
オフセット印刷向けのものも
ラインナップされています。
まさに紙の町ですね。
帰路の四国は
今治ルートで四国入りし、
坂出ルートで本州へ戻りました。
夜の鷲羽山の下津井港から
下津井瀬戸大橋を見上げます。
下津井の漁港のヘチで
メバルでもいないかな?
と探ってみますがノーヒット。
急激に水温も下がったのか
不調だなあ。
鷲羽山から倉敷に向けて
走ってみます。
そこには岡山経済の基盤となった
水島臨海工業地帯が!! つまり
石油化学コンビナートが広がります。
ジャパンエナジー水島精油所と
旭化成ケミカルズ水島製造所が
広がり、さらにこの北側には
水島化学水島事業所が
ただひたすらにブレードランナーな
風景を生み出しています。
柿本人麻呂の憂鬱
恐羅漢山のみつばちブンブン
今シーズンのスキーの
スタートは新年の
恐羅漢スキー場でした。
広島県最高峰
(西中国山地最高峰)
である恐羅漢山(1346m)の
山麓にありますが、
年末年始の大雪も結果的には
根雪になっただけで積雪量は
トータル的にそんなに多い年ではないです。
しかも気温が下がりきらず湿雪で重いので
コントロールが辛いのなんの。
しかもビンディングのリリースの部分が
ぽっきり!! あちゃー!! シール登高しても
シールを剥ぐ事ができない.....
ヨレヨレで駐車場に戻り、
タイヤレバーでブーツを外し
MSRのスノーシューに変更。
もう登頂の時間が無くなちゃったじゃん!!
登山道のリフト上部から
少し高いところまで歩いてみました。
ここらで展望してUターンです。
しかし、4日(月曜日)だったので
ちょうど恐羅漢山の上を爆音旋回する
戦闘機が何度も来訪します。
実は岩国海兵隊基地のF-18ホーネットが
新年訓練を開始したようです。
海上でなく中国山地上空で練習してるのかあ。
もう夕方ですが下山して
一気に戸河内ICから
六日市ICまでシフトして
岩国海兵隊基地へ!!
しかし、17時を過ぎるとそこは
基地から帰宅の途に付く皆さん。
しょうがないから新滑走路の
写真でも。もめてる割りに
工事はしっかり進んでるのね。
別に反戦だのどうのと
格好や体裁を整えるより
地元の人の生活を
しっかり見て判断してね。
土木関係者だけでなく基地内の
仕事も増えるのだろうからね。
今津川の向こうに見えるのは
帝人の岩国事業所です。
夕暮れだけじゃないテイジーン♪
カトリーヌちゃんも
大きくなったからなあ。
帰りは「いろり山賊錦店」で
お土産を買います。
最近は広島系コンビニの
「ポプラ」でも標準メニューにも
なっている「山賊むすび」と炭火で
香ばしい鶏の足の「山賊焼」。
さらに初詣でに夜の
津和野に寄ってみます。
山陰の小京都である津和野。
五大稲荷の太鼓谷稲成神社
は日中は混雑しますが夜は静かなものです。
写真は旧社殿の奥にある命婦社です。
神使いの狐様が祀られています。
津和野カトリック教会
のゴシック建築。
明治初期のキリシタン
禁令で長崎浦上から
津和野にあずけられた
キリシタンが乙女峠で
殉職した話が残る地です。
伊予国一宮 大三島 大山祗神社
今治ルートで本州へ帰省モード。
途中、大三島に降りて愛媛は伊予国一宮
大山祗神社へ寄ってみました。まさに初詣の
2008年1月15日 (火)
第九番札所 正覚山 法輪寺
お遍路でお寺に入る
時間は朝6時から
夕方5時までです。
冬期で困難な場所では、
朱印所が別の場所に設置され
本堂や大師堂が仮設されたり、
朝の開始時間を遅らせるなどの
対策が行われる場合もあります。
ぎりぎりの時間で本日最後の巡礼です。
88ヶ所のうち9ヶ所をまわりました。
やはり読経や納経などをじっくり
焦らずこなすとそんなに何ヶ所も
まわる事はできませんね。
急がず、じっくりと進めたいものです。
■ 第九番 正覚山 法輪寺
■ 徳島県阿波市土成田中
■ 御本尊 涅槃釈迦如来
■ 真言 ノウマクサンマンダ ボダナン バク
■ 宗派 高野山真言宗
四国霊場で唯一の
涅槃の釈迦如来像が
御本尊になっています。
足の傷病に御利益があるとされます。
田中の法輪さんと呼ばれまさに田んぼ
の真ん中にぽつんと建つお寺です。
さて、日没して徳島道に
脇町ICから乗り込み、
積雪の川之江JCTから
松山道にシフトし松山IC
まで一気に移動しました。
そこには久万の坊さんが
待ち受けていました。
という訳で生臭坊主と
暴食ラーメンと温泉タイム。
しかし松山市内は晴れても
久万はすでにかなりの積雪。
山間部と平野部の差がかなり出ています。
第八番札所 普明山 熊谷寺
お遍路さんの被る
菅笠には同行二人と
書いてあります。
四国遍路中は一人で
あっても常に弘法大師と
一緒にいるという教えです。
第13回TBIでTEAM TLDでは
強制的にヘルメットに同行二人が
書き込まれました。
もちろんオフィシャルの前で
SS中に転倒しても合掌されたりして.......
実際には次の四句も書くそうです。
「迷故三界城」
「悟故十方空」
「本来無東西」
「何処有南北」
これは葬式のお棺の天蓋に書くもので
巡礼の姿は死者である事を表している
のだそうだ。
■ 第八番 普明山 熊谷寺
■ 徳島県阿波市土成前田
■ 御本尊 千手観音菩薩
■ 真言 オン バサラ ダラマ キリク
■ 宗派 高野山真言宗
弘法さんの修行中に
紀州の熊野権現が現れ
金の観音様を授けられたそうです。
高さ13mの仁王門は四国最大。
多宝塔も四国最大最古と言われます。
ただ現在、大師堂は改修工事中で
仮の大師堂が準備されていました。
第七番札所 光明山 十楽寺
もちろん読経でも良いのです。
ただ決してスタンプラリーだけでは
無い事は心に刻み込んでおかないといけません。
ちなみに他の寺社の朱印と違って八十八ヶ所
さらに二回目、三回目と巡礼する場合は
般若心経を身に付ける事。繰り返しの作業と
■ 第七番 光明山 十楽寺
■ 徳島県阿波市高尾法教田
■ 御本尊 阿弥陀如来
■ 真言 オン アミリタ テイゼイ カウラン
■ 宗派 高野山真言宗
八苦から離れ十の楽を
第六番札所 温泉山 安楽寺
もちろん、お手本を下に敷いて
トレースして書くのもOKです。
私も現在はトレースして書いています。
これに願文と日付、住所、氏名等を
書き込むと完成です。
高野山奥之院では四角い
盆が用意されていましたが
八十八ヶ所ではステンレスの
■ 第六番 温泉山 安楽寺
■ 徳島県板野郡上板町引野
■ 御本尊 薬師如来
■ 真言 オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ
■ 宗派 高野山真言宗
温泉が沸く谷に薬師如来を
四国別格二十霊場 大山寺
四国八十八ヶ所の
第五番と第六番の
札所間に位置する
大山寺に寄ってみました。
標高が高いため数時間で
積雪してしまった境内です。
仏王山大山寺は
四国別格二十霊場の
第一番札所になており
八十八ヶ所には
入っていませんが
その道のりは細い林道で
なかなかハードなコースです。
しかも積雪してスリッピーな上に
竹が雪で道をふさぎます。
奥地感がワクワクさせてくれます。
■ 仏王山 大山寺
■ 四国別格二十霊場 第一番
■ 徳島県板野郡上板町大山
■ 御本尊 千手観音菩薩
■ 真言 オン バサラ ダラマ キリク
■ 宗派 真言宗醍醐派
実は阿波国最古の
お寺なのです。
源義経の戦勝祈願や
蜂須賀家の祈願所でもあり、
大鏡餅を山麓から担ぎ上げる
力餅の行事が行われます。
縁結びでも有名
なのですが歓喜天に
関連するかは謎です。
大山寺には
大山歓喜天の
御札がありました。
小型の木像がある
との話でしたが
一般的には秘仏で
力の強い聖天さん。
像頭人身の仏像で
男女二体で抱き合って、
夫婦和合でも知られますね。
もともとシヴァ神の子の
ガネーシャであり、
暴れん坊な邪悪な
神でしたが十一面観音が
化けて抱いて押さえ込んだ
というヒンドゥーの神話が
あります。できれば、真言は
避けた方が良いようです。
継続の信仰が必要になり
しっぺ返しが大きい事で
有名です。十一面観音の
真言は緊急時の真言として
効果があるそうです。
2008年1月11日 (金)
第五番札所 無尽山 地蔵寺
お経を納める。すなわち般若心経を
書き移した写経をお寺に納める事です。
納経は境内の納経所で行わず
各御堂の前に設置される納札と写経の
ステンレス製のポストに投入します。
納経所は朱印を行う場所となっています。
読経と写経は勉強のやり方と一緒で
般若心経の意味を解釈する事も含め、
身につけるための基礎なのでしょうね。
パソコンなデジタルな世界ではなく
肉筆な行為はやはり重要なんだと思う。
ちなみに納札とは弘法大師の
御影が描かれた御札で、
礼拝者の住所、名前、日付を記入し
御堂に納める御札の事です。
私は東寺で購入したのですが
100枚で100~200円と安いものです。
東寺には白いものしか無いのですが
各納経所にはけっこうカラフルな
色のものもあります。実はこの色は
お遍路を巡礼した回数で変わるようです。
1~4回 白、5~7回 緑、8~24回 赤
25~49回 銀、50~99回 金、100回以上 錦
■ 第五番 無尽山 地蔵寺
■ 徳島県板野郡板野町羅漢林東
■ 御本尊 勝軍地蔵菩薩
■ 真言 オン カカカ ビサンマエイ ソワカ
■ 宗派 真言宗御室派
弘法さんが勝軍地蔵菩薩を彫り
開基しました。義経の帰依も受け、
平安期は大寺院でした。
境内の「たらちね銀杏」は
樹齢800年を越えます。
また淡島堂には万病を封じる
「へちま加持」がおさめられています。
平野部はミゾレになり、奥の院の
五百羅漢はまたの機会にしました。
第四番札所 黒厳山 大日寺
基本的には般若心経と御本尊の真言や
もちろん丁寧に参る時には
開経偈、般若心経、十三仏真言、
光明真言、南無大師御宝号、回向
などを唱える事になります。
私は般若心経をまだ暗記してないので
仏前勤行次第を開いて読んでいます。
できるだけ声を出しているけどね。
第三番札所 亀光山 金泉寺
八十八ヶ所のお寺は
仁王が阿吽と
睨む山門から入ります。
高層建築物が少ない
都市部でなければ
だいたいあの建物かしら?
とアプローチする事もできます。
山門の色と高さはランドマーク
でもあるのでしょう。
参拝は基本的には
御本尊の安置される「本堂」と
弘法大師の「大師堂」の前で
読経などを行います。
真言宗ではこの二つのお堂が標準的にあり、
さらに脇侍が配置され薬師堂や不動堂などが
オプショナルに建立されています。
石手寺など観光地の大きなお寺では
何処が大師堂か探しちゃいました。
■ 第三番 亀光山 金泉寺
■ 徳島県板野郡板野町大寺亀山下
■ 御本尊 釈迦如来
■ 真言 ノウマクサマンダ ボダナン バク
■ 宗派 高野山真言宗
水不足の地であったが弘法さんが
境内に井戸を堀り湧き出た事ことらか
金泉寺と呼ばれます。
また義経が壇ノ浦に向かう途中に
戦勝祈願で寄っており、
弁慶の力石なども残ります。
第二番札所 日照山 極楽寺
八十八という数字は米と言う字から来る
■ 第二番 日照山 極楽寺
■ 徳島県鳴門市大麻檜段
■ 御本尊 阿弥陀如来
■ 真言 オンアミリタ テイゼイ カウラン
■ 宗派 高野山真言宗
開祖は行基で、御本尊の後光が
阿波一宮 大麻比古神社
第一番札所 竺和山 霊山寺
2008年1月10日 (木)
紀淡海峡冬景色
2008年1月 9日 (水)
アフタールミナリエ
という事で和歌山港から急遽
湾岸で移動する事にしました。
フェリーターミナル
ここのラーメン屋さんは和歌山ラーメン
お店で主人はバイク乗りさんかな。
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