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2008年5月25日 (日)

依佐美送信所の記憶

Isami01 1997年(平成9年)に撤去が
完了した刈谷にあった
依佐美送信所の
超長波アンテナ群。
今はこの10分の1にカットされた第二アンテナ
が残るのみです。新幹線から見るアンテナは
三河安城のランドマークだったのにね。
当時の写真が残っていると思うんですが、
接近撮影した時にちょうど米軍のメンテが
入っていて近寄れなかったんですよねえ。

Isami02 国策会社の日本無線電信(株)
により昭和4年に建設されました。
この送信所は当時、世界最大の
無線送信施設でした。
送信所本館も平成18年に解体され
高周波発電機、周波数変換器、コンデンサー、
コイルなどの設備を建設された依佐美通信所
記念館に産業遺産として移したのです。

Isami03 手前左がコンデンサー、
右がバリオメーター型
高周波コイルという
インダクタンス可変型
コイルです。奥にはローディング型高周波
コイルが鎮座します。送信周波数17.442kHzに
アンテナを同調させるように付けられたコイルです。

Hario02 この写真は佐世保の
針尾通信所の長波アンテナです。
こちらはコンクリで造られた
アンテナですが、依佐美と
同じく、ニイタカヤマノボレの
電文を伝えた設備と言われます。
依佐美は中継で使われたようです。
また、依佐美送信所は戦後、
米海軍の通信に利用され
冷戦の潜水艦通信の要でもあり
ソ連の核弾頭が狙ってると
民間の家でも核シェルターを掘る家まで
あったのは記憶に新しいですよね。

Isami04 現在は、静かな刈谷になったね。
フローラルガーデンよさみ
として近所の家族連れの
まったりできる公園で賑わいます。

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コメント

今は市民憩いの公園になりましたね。

第1次と第2次。さらには湾岸と常に戦争のために働いた依佐美送信。

投稿: ヨサミかサヨミか | 2008年6月12日 (木) 18時31分

近代だけでなく戦後の歴史の流れも
感じる場所ですね。もちろん今は
フローラルガーデンで親子連れが
楽しむ姿が眩しいですわ。

投稿: きぐるんば | 2008年6月12日 (木) 21時56分

刈谷市の名跡依佐美の鉄塔。記念館の年表をみたら、逓信大臣(郵政大臣)小泉又次郎がいるではありませんか。

小泉純一郎のおじいちゃんですよ。

鉄塔の資材はドイツのハンブルグから輸入。初電波はワルシャワへ。

当時の無線家にはたまらない施設ですよ。

投稿: sadakun_d | 2008年6月14日 (土) 17時17分

小泉純一郎のおじいちゃんですかっ!!
またすごい繫がりだなあ。
ヨーロッパへの送信は
刈谷市史だより第49号に
昭和四年四月十五日にポーランドの
ワルシャワへ送信開始、四月二十二日に
ドイツのベルリン(ナウエン無線局)に
送信とありますね。
以後にパリ、ロンドンとの送信も開始され
受信に関しては四日市受信所があり
双方向通信が可能になったとあります。
浪漫ですねえ。

投稿: きぐるんぱ | 2008年6月14日 (土) 21時53分

記念館を見たがドイツハンブルグから輸入されたのは資材のみでしたね。電信技術者が日本に刈谷に滞在をしてくれたらこの刈谷市も"第2の軽井沢"になれた。

隣の安城市。日本のデンマーク(明治時代)。東大の山崎がデンマーク酪農を真似ただけで、デンマーク人が来安していないからね。

勤勉なる三河か日本人か

投稿: sadakun_d | 2008年6月15日 (日) 09時36分

関係ないけど

安城市の明治用水の灌漑事業。SONYの創設者井深大のおじいちゃんが関わりです。

安城市に井深(いぶか)堤とおじいちゃんの名前があるのを孫の井深大は見て足が震えるほど感激したらしい。

おじいちゃんは偉大だぞー

井深大は安城市の中部尋常小学校卒業をして神戸へ行きます。

投稿: sadakun_d | 2008年6月15日 (日) 09時40分

ニュースで讃岐は満濃池の
ゆる抜きがはじまり田植えの
最盛期と報じておりました。
空海さんのお仕事も歴史に残るだすなあ。

投稿: きぐる | 2008年6月15日 (日) 16時30分

昔々のこと、戦争開始の電文に依佐美送信所は中継に使用されたあるが、ここで無線通信のシステムを考えると、無線通信は無線電信局・送信所・受信所から構成、当時無線電信局は公衆の場合東京国際電信局と大阪国際電信局、軍は横須賀海軍(サイパン喪失後は呉海軍に移る)で、それぞれは各地から送られた電信を暗号に紙テープ鑽孔され緊急・重要度に応じ自動発信機掛けられ、依佐美(長波・短波)や小山・河内(短波)から送信、小野(長波・短波)や福岡(短波)は受信で、運用の制御は各電信局で行われる。したがつて長門のように規模の小さい無線室では実施は不可能である。なお、依佐美送信所は長波送信機(700KW)と短波20KW送信機3台を日本海軍は作戦用で使用。戦後米海軍は横須賀制御で使用され、電電公社の回線名はA931で重要回線の一つであった。

投稿: sabutaka | 2009年6月24日 (水) 23時37分

通信の歴史。
時代はどんどんかわるけど、
衛星に依存しすぎるのもちょっと
怖いかも...

最近は地デジがアナログ波をイジメるけど
登山しててハンディ無線でFMラジオ聞く
よりテレビの音声の方が入りが良いので
気楽に聞きながら歩く事が多いのですが
これもできなくなるのかな....
やだなあ....

基本的に家電の買い換え強制の
地デジ詐欺にしか思えないんですけどね。
金にまみれたNHKも郵政より先に
民放化してほしいにゃあ。

投稿: きぐる | 2009年6月25日 (木) 23時18分

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