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2012年9月16日 (日)

ヒロシマガイガーカウント

Img_7221 盆帰省復路で広島市内に
立ち寄りました。
スペシャライズド号で平和公園
周辺をぶらぶらしてみました。
もちろん、しっかりガイガーカウンターを手にしてね!!

Img_7244 帰省往路では若狭湾の舞鶴道は
概して低めで、0.08μSV/hでした。
(バックグランド無しの直読値)
香川県、愛媛県も市街地、
山間地ともに0.10~0.12程度が
多かったですが広島県に入って
竹原市で0.16~0.18と、いきなりアップしてきました。
でも広島市内の山陽道は高くなく、
逆に島根の益田市内では
また0.16~0.18と高い場所が現れたのだ。

Img_7213 この結果は益田市の蟠竜湖にある
文科省モニタリングポストの高値が
嘘ではないのが良くわかりました。
原因が広島の原爆の降下物なのか
中国の核実験の降下物なのかはわかりません。
ただ、竹原と益田の共通点は田舎で、
山野がしっかり残っているという事ですかね。
もちろん戦後開発した高速道路網は
当時の影響も見うけられないのだ。
放射能が蔓延しても都市化が進み地面が
露出しなくなると、放射線は遮断できるのだろうか。

Img_7220 広島市内はしっかりと都市化
しており基本的には0.10~0.12です。
ただし、平和公園の土の上だと
0.16と数値が上がってきます。
そして原爆ドームですが、壁まで
5mくらいのところで測定すると、
なんと0.24μSv/hまでアップ!!
むろん、現在の福島県の数値に比べれば
子供だましの数値なのかもしれませんが
明確に周囲との違いがわかります。
土手の石なども0.16程度を呈していた。

Img_7226 原爆資料館も学生のとき以来、
ひさしぶりに入りました。
展示物はガラスカバーが多く、
ガイガーカウンターの展示では
ストロンチウムが線源としてあったが、
鉛ガラスのため、手持ちのセンサーでは
全く反応は無い。当たり前か.....

Img_7231 ただ、手で触ってみましょうという、
瓦の表面が融けたものなどは
至近距離でも0.10~0.16程度で、
さほど高くはなかった。
コンクリなどが中性子で放射化したものは
もう60年もたてば半減期の数倍には
なってるので問題は低下してかもしれないね。
もちろんウランだのセシウムだのプルトニウム
は真空減圧のキノコ雲で成層圏まで上昇して
いるので太平洋上に流れてしまったと言われるけど。
むろん、中性子爆弾のように中性子はたっぷり放出するし
本来の熱核爆弾の熱線もフルブーストでアウトな訳だが....

Img_7227 黒い雨も原爆爆発後による火災の
酸欠のススが主成分であるので
放射化した水やコンクリの埃や炭化水素の
炭化したものが混ざっている状態か?
核分裂の死の灰がストレートに
混ざり込んでいるのか?
何が線源なのかは核種を調査しないと
わからんなあ......つまり、ピカドンの直接的な被爆被害は
ケロイドや原爆症も含め爆発時の中性子がメインであり、
核分裂産物は爆心地には少なめなのかもしれません。
これが原発事故と核爆弾の大きな違いになるのだろう。
どちらかというと東海村の臨界事故の方が
爆心地から離れていた場所でピカドンの影響を
受けてしまった場合に近い状況であったとも考えられます。

Img_7228 さて、広島の除染については受付で
学芸員代理さんを呼んで頂き、
説明をしていただきました。
ちょっと適当な回答でしかなかったので
非常に残念だ。まあ、結果的には資料館では
放射能の数値記録は残ってないという事だ。
国が握ってるみたいなのだが、そうすると
大学の論文の類を調べる方が手っとり早いのかも。

Img_7229 展示でも路面電車は3日後には
運転再開させたとある。
地面を1mも掘って瀬戸内海に
瓦礫を投棄したという記録については
学芸員代理さんも知らないとは言っていた。
ただ、原爆のあとすぐに大きな台風がきて、
それが除染になったという話は説明してくれたけどね。
台風はまさに日本の神風なのかもしれないね。
311以降に大きな台風や集中豪雨が多いのは
低汚染地域での除染効果は高いのかもしれません。
でも、関東東北のダム湖の堆積土砂、ヘドロを
チェックしとく必要はあるだろうなあ。

まあ、平和記念公園の原爆資料館としては
ウラン系の核種は基本、キノコ雲の
ファイヤーボールでわかるように
衝撃波によるぶり返しの真空のため
成層圏に上昇してしまったと結論づけているようだ。
詳細な核種のデータや調査資料は
資料館にはないと断言してた。

Img_7230_2 原爆でどれだけの都市としての被害が
あったかの展示は爆発後の火災での仏像の
融けた姿なども多くあったが、それは
各地の空襲の被害と比べ大差ない。
もっと長期間爆撃された空襲だってヒドイもので
あったのだから被爆地として問題提議するなら
被爆による問題を重点を置くべきなのだろう
と感じた........もちろん、熱線で蒸発した人間の影も、
カスリの着物の黒い部分だけ焼けたものも有名ですけどね。

Img_7234 確かに東北や関東の東国では
戦後の被爆二世の問題など
生活にはほとんど実感する事は
なかったと思う。
もちろん終戦までは原爆の情報は
発表はされていなかったが、
母が出雲でもケロイドでひどい被爆者が
鉄道で避難してきており、「あれが新型爆弾の..」.
と噂はされていたくらいだ。
ともあれ問題は長期間に渡る被爆の影響であり
中国地方ではリアルにそして密かに苦しめられてきた。
昭和から平成になり中性子による放射化の減衰で
かなり浄化されて来たが、福島原発はこれから
戦後を迎えスタートに立っただけだ。しかも厄介な
事に半減期が桁違いに長い核種がテンコモリで
人類が滅亡するころでも残りうるものも多い。

Img_7224 2030年に原発ゼロと報道されるも
未だに太平洋に垂れ流しの放射性物質。
ここに来て、北海道のマダラの底物にまで
汚染が規制値越えしてきた。
それでもまだ房総、鹿島灘、仙台湾、三陸の
海の幸は昔ながらの神話さながら安全とくる。
結局は出荷検査を信じてはならず、
自分で受入検査をせざるをえない状況は
ある意味、テロ対策と大差ない。
福島第一をサティアンと言う政治家もいるが
逆にそれはオウムに失礼ではなかろうか?

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