ヒロシマガイガーカウント
盆帰省復路で広島市内に
立ち寄りました。
スペシャライズド号で平和公園
周辺をぶらぶらしてみました。
もちろん、しっかりガイガーカウンターを手にしてね!!
帰省往路では若狭湾の舞鶴道は
概して低めで、0.08μSV/hでした。
(バックグランド無しの直読値)
香川県、愛媛県も市街地、
山間地ともに0.10~0.12程度が
多かったですが広島県に入って
竹原市で0.16~0.18と、いきなりアップしてきました。
でも広島市内の山陽道は高くなく、
逆に島根の益田市内では
また0.16~0.18と高い場所が現れたのだ。
この結果は益田市の蟠竜湖にある
文科省モニタリングポストの高値が
嘘ではないのが良くわかりました。
原因が広島の原爆の降下物なのか
中国の核実験の降下物なのかはわかりません。
ただ、竹原と益田の共通点は田舎で、
山野がしっかり残っているという事ですかね。
もちろん戦後開発した高速道路網は
当時の影響も見うけられないのだ。
放射能が蔓延しても都市化が進み地面が
露出しなくなると、放射線は遮断できるのだろうか。
広島市内はしっかりと都市化
しており基本的には0.10~0.12です。
ただし、平和公園の土の上だと
0.16と数値が上がってきます。
そして原爆ドームですが、壁まで
5mくらいのところで測定すると、
なんと0.24μSv/hまでアップ!!
むろん、現在の福島県の数値に比べれば
子供だましの数値なのかもしれませんが
明確に周囲との違いがわかります。
土手の石なども0.16程度を呈していた。
原爆資料館も学生のとき以来、
ひさしぶりに入りました。
展示物はガラスカバーが多く、
ガイガーカウンターの展示では
ストロンチウムが線源としてあったが、
鉛ガラスのため、手持ちのセンサーでは
全く反応は無い。当たり前か.....
ただ、手で触ってみましょうという、
瓦の表面が融けたものなどは
至近距離でも0.10~0.16程度で、
さほど高くはなかった。
コンクリなどが中性子で放射化したものは
もう60年もたてば半減期の数倍には
なってるので問題は低下してかもしれないね。
もちろんウランだのセシウムだのプルトニウム
は真空減圧のキノコ雲で成層圏まで上昇して
いるので太平洋上に流れてしまったと言われるけど。
むろん、中性子爆弾のように中性子はたっぷり放出するし
本来の熱核爆弾の熱線もフルブーストでアウトな訳だが....
黒い雨も原爆爆発後による火災の
酸欠のススが主成分であるので
放射化した水やコンクリの埃や炭化水素の
炭化したものが混ざっている状態か?
核分裂の死の灰がストレートに
混ざり込んでいるのか?
何が線源なのかは核種を調査しないと
わからんなあ......つまり、ピカドンの直接的な被爆被害は
ケロイドや原爆症も含め爆発時の中性子がメインであり、
核分裂産物は爆心地には少なめなのかもしれません。
これが原発事故と核爆弾の大きな違いになるのだろう。
どちらかというと東海村の臨界事故の方が
爆心地から離れていた場所でピカドンの影響を
受けてしまった場合に近い状況であったとも考えられます。
さて、広島の除染については受付で
学芸員代理さんを呼んで頂き、
説明をしていただきました。
ちょっと適当な回答でしかなかったので
非常に残念だ。まあ、結果的には資料館では
放射能の数値記録は残ってないという事だ。
国が握ってるみたいなのだが、そうすると
大学の論文の類を調べる方が手っとり早いのかも。
展示でも路面電車は3日後には
運転再開させたとある。
地面を1mも掘って瀬戸内海に
瓦礫を投棄したという記録については
学芸員代理さんも知らないとは言っていた。
ただ、原爆のあとすぐに大きな台風がきて、
それが除染になったという話は説明してくれたけどね。
台風はまさに日本の神風なのかもしれないね。
311以降に大きな台風や集中豪雨が多いのは
低汚染地域での除染効果は高いのかもしれません。
でも、関東東北のダム湖の堆積土砂、ヘドロを
チェックしとく必要はあるだろうなあ。
まあ、平和記念公園の原爆資料館としては
ウラン系の核種は基本、キノコ雲の
ファイヤーボールでわかるように
衝撃波によるぶり返しの真空のため
成層圏に上昇してしまったと結論づけているようだ。
詳細な核種のデータや調査資料は
資料館にはないと断言してた。
原爆でどれだけの都市としての被害が
あったかの展示は爆発後の火災での仏像の
融けた姿なども多くあったが、それは
各地の空襲の被害と比べ大差ない。
もっと長期間爆撃された空襲だってヒドイもので
あったのだから被爆地として問題提議するなら
被爆による問題を重点を置くべきなのだろう
と感じた........もちろん、熱線で蒸発した人間の影も、
カスリの着物の黒い部分だけ焼けたものも有名ですけどね。
確かに東北や関東の東国では
戦後の被爆二世の問題など
生活にはほとんど実感する事は
なかったと思う。
もちろん終戦までは原爆の情報は
発表はされていなかったが、
母が出雲でもケロイドでひどい被爆者が
鉄道で避難してきており、「あれが新型爆弾の..」.
と噂はされていたくらいだ。
ともあれ問題は長期間に渡る被爆の影響であり
中国地方ではリアルにそして密かに苦しめられてきた。
昭和から平成になり中性子による放射化の減衰で
かなり浄化されて来たが、福島原発はこれから
戦後を迎えスタートに立っただけだ。しかも厄介な
事に半減期が桁違いに長い核種がテンコモリで
人類が滅亡するころでも残りうるものも多い。
2030年に原発ゼロと報道されるも
未だに太平洋に垂れ流しの放射性物質。
ここに来て、北海道のマダラの底物にまで
汚染が規制値越えしてきた。
それでもまだ房総、鹿島灘、仙台湾、三陸の
海の幸は昔ながらの神話さながら安全とくる。
結局は出荷検査を信じてはならず、
自分で受入検査をせざるをえない状況は
ある意味、テロ対策と大差ない。
福島第一をサティアンと言う政治家もいるが
逆にそれはオウムに失礼ではなかろうか?
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