昭和19年7月に日独連絡潜水艦でドイツから持ち帰った原型機のメッサーシュミットMe-163Bロケット戦闘機の一部資料を基にするも、資料やデータがほとんど無い状態で開発が進められました。よくまあ暗中模索でこれだけの機体が造られたもんです。開発中には東南海、三河大地震も発生しました。M7.9で震度は旧震度で震度6、尾鷲の津波は9mでした。名古屋の航空機産業は大打撃をうけて、さらに米軍の爆撃もうけていたのにね。